男社会で戦い抜いた女地頭
ご無沙汰しております。
来年の真田丸に思いを馳せすぎてまだ9月になったばかりという事実に唖然としているあーすです。
そして大河といえば、再来年の大河が決定しましたね!
「おんな城主 直虎」
今からとても楽しみです!!(あーすさん、まだ2015年ですよ!)
なのでさっそく、再来年の大河の主人公に思いを馳せてみたいと思います。
井伊直虎公。
実際、あまりご存じない方のほうが多いんじゃないかと思うんですが。
江戸時代の大老、井伊直弼のご先祖様って言ったらなんとな~くわかるのではないかな、と思います。
ちなみに、"直虎"という名前ではありますが、実は女性で、未婚で、井伊家の実質当主として徳川家に仕えていた方なんです。
当時としては異例なんではないでしょうか?
では、なぜそんな人生を歩んでいらしたのか、簡単にご紹介してみようと思います。
直虎公のご両親には一人娘しか生まれなかったそうな。
そう、つまり後の直虎公一人だったんですね。
なので、後継ぎとして親族から許嫁を設けたのですが、時は乱世。
許嫁の父が、当時仕えていた今川義元への謀反の疑いで自害へ追い込まれた際に領地を脱出してしまったんです。
その後10年ほどが経過して許嫁が領地へ戻ってくるのですが、その時すでに相手には妻子があったとか。
この事件のせいで、直虎は婚期を逃したと、言われているんですね。
その後、歴史の教科書には必ず記載のある桶狭間の戦いで父を失い。
直虎公の父の後をついで井伊家当主になっていた直虎公の元許嫁も今川氏に殺害され、また家臣の謀反に合い領地まで奪われてしまうんです。
そんなことがありながらも周囲の助けを借り、直虎公が女性ながら井伊家の当主になります。
当主になった直虎公、同じく今川氏に怯え暮らしていた元許嫁の子、虎松(のちの直政公)を養子として育て、家康公に仕えさせます。
関ヶ原の戦いで活躍した井伊の赤備え、もしかしたら聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
これが、江戸以降続く井伊家の反映の始まりだったのかもしれませんね。
ちなみに、直政公が家康公に仕えたころ、井伊家の旧領は家康公によって戻されたんですが、実は直虎公に戻されたのではなく直政に与えられたものだと言われています。
しかし、直虎公は亡くなるまで井伊家当主を務めあげ、直政公が正式な当主となったのはその死後でした。
もしかしたら、不遇の時を耐え、がむしゃらに走り続けた直虎公のプライドが、そこにはあったのかもしれません。
直虎公は現在、浜松市内のお寺で、元許嫁の隣に静かに眠っているそうです。
そんな直虎公の大河が、待ち遠しくて仕方ありません。(もちろん真田丸もとても楽しみです!)