徒然青史

ツレヅレセイシ...戦国史好きでオタクなIT屋さんの日常絵巻

大一大万大吉の旗印

先日、定期的に同僚と開催している飲み会でこちらにお邪魔しました。

戦国武勇伝 ―武将個室 新宿―
かなりのヘビーユーザーなのですが、いつも2人くらいで行くので、久々の個室でした。
個室が毛利の部屋に当たったのでそこでもご機嫌だったのですが。
いざ着席して、自分の目の前のコースターを見た途端振り切れました。

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大一大万大吉石田三成公の旗印です!
西軍贔屓な私は例に漏れず三成公も好きなわけでして。
せっかくなので今日は三成公がどういう人物だったのかについて少し触れてみようと思います。

近江で生まれた三成公は、諸説ありますが石田家次男だったために寺に預けられており、そこで後の天下人となる秀吉公と出会ったと言われています。
三献茶の逸話はかなり有名なので知っている方も多いかと思いますが、鷹狩りの帰りに喉の渇きを覚えた秀吉公は立ち寄った寺で小姓に茶を所望します。
その小姓は、初めは大きい茶碗にぬるいお茶を、さらに茶を所望した秀吉公に二杯目は少し小さい茶碗に先より温かい茶を、さらに所望した秀吉公に三杯目は小さい茶碗に熱々のお茶を用意したそうです。
三杯のお茶を堪能した秀吉公に、何故お茶の量と熱さを変えたのか問いかけたところ、「喉の渇きを潤すための温いお茶、渇きが癒えた後はお茶を味を楽しめるよう熱いものを用意した」というのです。
この小姓の心配りと知恵に感銘を受けた秀吉公はこの小姓を連れ帰ります。
それが後の三成公だと言われています。

先に上げた「大一大万大吉」とは、「一人が万民のために、万民が一人のために力を使えばすべての人が吉(幸福)となり、太平の世が訪れる」という意味があります。
関ヶ原の折には家康公と対立し、大きな戦を仕掛け、今なお大逆人として扱われることの多い三成公。
人望が無い、傲慢。
よくそのように伝えられていますが、私は三献茶の逸話や最後まで共に戦った人物の存在から、三成公をそんな悪い人物だとは思えないのです。

三成公の周りの人物と共に、また折に触れて逸話など紹介できたらと思っています。