徒然青史

ツレヅレセイシ...戦国史好きでオタクなIT屋さんの日常絵巻

神に斎(いつ)く島

海の日を含んだ三連休、皆様いかがお過ごしだったでしょうか。
私はといえば、ふらりと赴くは神の島、安芸の宮島にお邪魔してきました。

厳島(宮島):広島県廿日市市宮島町

宮島と言えば、日本三景の一つであり厳島神社(正しくは嚴島神社)を構える神の島。
今でこそ地元の人も暮らし、多くの観光客を迎える島になっていますが、かつては神が住まう島として人間の立ち入りは厳禁でした。
厳島神社の本来の参道は海。
だからこそ、厳島神社は海の上に立てられていて、鳥居も海側に立っているんですね。
海側から船で鳥居をくぐり、鳥居に向かって伸びた回廊から神社に入りお参りしていたんです。
今は宮島口からフェリーが出ていて、桟橋からゆるりと続く参道を歩いて社に向かうことができます。
ちなみに、海に立つ大鳥居、陸側と海側で「いつくしまじんじゃ」の漢字が違ったりします。

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<干潮時、海側から撮影した大鳥居>

せっかくなので、そんな神の島を舞台にした戦いについて一つご紹介しましょう。
厳島の戦い毛利元就陶晴賢が起こした合戦です。

当時、大内家に仕えていた毛利元就は、主君大内義隆を打った陶晴賢と対立していました。
いくつかの小競り合いの後、陶は2~3万の兵を率いて厳島に陣を張ります。
対する毛利は4~5千足らずの兵のみ。
圧倒的不利の中、大時化かつ暴風雨の中、毛利元就は包ヶ浦から厳島に上陸します。
海辺の陶軍を囲むように厳島の山中に身を潜め、早朝よりかけた奇襲により毛利軍の圧勝であったとか。

この時、奇襲前夜の暴風雨の中、明かりも使えない毛利軍を山中に案内したと言われているのが、当時すでに島に住んでいた鹿なんです。
神をも味方につけた毛利軍、後々謀神と言われるのも納得できる気がします。
この戦いの後、血で汚れた神社を洗い清めた元就公。
その後も様々な人々に大切にされ、今の厳島神社があります。

神に斎く(いつく = 仕える)島厳島
歴史息づく街に皆様も一度、足を運んでみてはいかがでしょうか?