徒然青史

ツレヅレセイシ...戦国史好きでオタクなIT屋さんの日常絵巻

自己紹介と隆元公

ふと思い立ってブログを始めてみました、あーすと申します。
ゲーム入口の戦国史好きなので、歴史の一部を切り取って今に生かせそうな話や生かせなそうな話。
それから旅行の話、趣味の話、ごくまれに技術の話なんか色々雑多に書いていけたらなと思います。


さて。
最初のブログなので、私の好きな武将についてでもお話しましょうか。
複数いるんですが、そのうちの一人、毛利隆元公についてお話したいと思います。

何故、元就公ではなく隆元公なのか。

ご存じの方も多いかと思いますが、毛利元就公は国人領主だった毛利家を中国の大名にまで押し上げた戦国の謀神でございます。
隆元公はその長男、元就公の後に家督を継いだ当主でした。
元就公が謀神と他国に恐れられたのとは対照的に、隆元公は温和ではあるけれど武将としての気概や機転に欠け、どちらかといえば芸術分野に造詣が深かったと伝えられています。
元就公が隠居後に家督を継いだけれど、実際は元就公が諜報活動を行うための儀式的な家督相続であり、実権を握っていたのは元就公だったとも。

これだけ書くと「本当に何で?」となると思うんですが。
まず惹かれるのが人格、温厚かつ篤実で孝心の篤い仁将だったという戦国には少々生きづらそうな性格が良いなと思ったんです。
生きづらい不器用な人が頑張る話が大好きです。
また、隆元公は元就公より先に不可解な死を遂げるんですが、その際に、隆元公がいなくなって初めてその偉大さに気づくような、縁の下の力持ちであるところにすごく惹かれます。
元就公はもちろん、弟である小早川隆景公と吉川元春公、いわゆる毛利の両川も武勇に劣る隆元公を小馬鹿にしていたところがあったそうです。
なのですが、法度・訓戒を多く制定して、毛利領内の内政充実に努めていたのは紛れもなく隆元公ですし、実際隆元公がいなくなってから毛利家の収入が減ったという記録が残っているそうです。

目立たないけど歯車の中心で自分が持つ力を発揮していた隆元公。
そんな隆元公を見本に生きていきたいと思っています。