徒然青史

ツレヅレセイシ...戦国史好きでオタクなIT屋さんの日常絵巻

子供の健やかな成長を願ってつけられた呼び名

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<去年あきる野で撮影したハクモクレン。そろそろ今年も咲く季節です。>

 
皆さまこんばんは。
冬の寒さが影を潜め、春の陽気に心が躍る頃になりましたね。
ちなみに私はというと、小学生の頃から悩まされている花粉と戦っております。

さて。
最近はずっと一人の人物にスポットを当ててご紹介してきましたが、ここでちょっと小休止。
こんな話題を取り上げてみようと思います。

幼名って、何?

平安から江戸の頃、武士や貴族に生まれた男性は、幼少期と成人後で名前が違ったことをご存じの方も多いかと思います。
成人してからの名前を諱、幼少期の名前を幼名。
この幼名、有名なところでいうと、徳川家康公の「竹千代」、織田信長公の「吉法師」、前田利家公の「犬千代」などでしょうか。

何故、幼少期と成人後で名前が違ったのでしょうか。
それには、当時と現代とで、子供が無事に成人を迎える確率があまりにも違ったためです。
例えば、戦に巻き込まれる。あるいは、病気で命を落とす。またあるいは、飢饉などで餓えてしまう。
生まれた男の子は大事な後継ぎ候補、何とか成人まで無事に育ってもらわなくては困ります。
そこで、元気に無事に、すくすくと成長するよう願いを込められた幼名がつけられたわけですね。
そんな幼名、実はちょっとした法則があったりなかったりするのです。

1.〇〇千代
今でも残る「千代」という言葉には“長い年月”という意味がありますね。
つまり、生まれた子が健康に長生き出来るよう、末永い幸福を願ってつけられた名前です。
例を挙げると、先にも記載した、「竹千代」や「犬千代」、他に上杉謙信公の「虎千代」などでしょうか。
ちなみに、徳川家の「竹千代」や前田家の「犬千代」は、代々嫡子に受け継がれたそうです。

2.〇〇丸
丸というと音感が可愛いという印象を持つのですが(私だけでしょうか…)。
実はこれ、“おまる”、つまりトイレを表しているのです。
何故大切な子にトイレなんてつけたのかというと、当時は病気や災いは鬼がもたらすと信じられていました。
その鬼は悪臭や不浄なものを嫌うとされていたため、魔除けの意味を込めて名付けられていました。
例を挙げると、伊達政宗公の「梵天丸」や、毛利元就公の「松寿丸」などでしょうか。

3.独自をゆく
もちろん、皆が皆「千代」や「丸」をつけていたわけではありません。
先に挙げた「吉法師」や、石田三成公の「佐吉」、直江兼次公の「与六」など。
いずれにしても、子を思って親が名づけるのは、今も昔も変わりませんね。

ところで。
先日のブログで紹介した千姫の旦那様に当たる、豊臣秀頼公。
幼名はなんと、「拾丸(ひろいまる)」。
まるで拾ってきたような名前!と思うかもしれませんが、実はそうなのです。
秀吉公は最初の嫡男を病で亡くしており、「拾ってきた子は強く育つ」という言い伝えから、秀頼公に「拾」の文字を付けたそうです。
しかも、つけただけではなく、実際に一度、まだ赤子であった秀頼公を外に放置し、再度抱き上げてまで強く生きることを願ったとか。
それが功を奏したのかはわかりませんが、拾丸はすくすくと成長し、一説には190センチにもなる大男になったと言われています。

名前って、やっぱり大事なんですね。
自分の名前について、一体どんな理由で付けられたのか、考えてみるのも面白いかもしれません。