徒然青史

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白餅大名は食い逃げ犯!?戦国きっての転職男  後編

皆さまこんばんは、前回よりさらに間を詰めての登場です。
果たしてこのペースは保てるのか…!?
 
さて。
初の前後編に分けさせていただいたこのブログ。
引き続きこの人物についてご紹介させていただきます。
 

藤堂高虎

■前回のおさらい
1~3のエピソードについてはこちら↓↓

白餅大名は食い逃げ犯!?戦国きっての転職男 前編 - 徒然青史


○高虎公歴代の主君○
浅井長政公⇒阿閉貞征公⇒磯野員昌公⇒織田信澄公⇒羽柴秀長公⇒豊臣秀保公⇒豊臣秀吉公⇒徳川家康

さて、前回までに豊臣秀保公に仕えた高虎公、今度はどういった経緯で主君が変わるのでしょうか。
順を追って見ていきたいと思います。

4.時代の先を読み己の行く末を見極める
秀長公の後に仕えた秀保公ですが、わずか17歳で病死したと言われています。
その後高虎公は次に仕官することなく出家しますが、それを惜しんだ豊臣秀吉公の説得により還俗し仕官しています。
秀吉公の元でも元来の才能を発揮し多数の武功を上げ、ここでも加増を受けています。
ところが。
秀長公の時とは異なり、秀吉公が亡くなる少し前から、高虎公は徳川家康公に急接近します。
元より高虎公と家康公の間には親交があったと言われていますが、それにしても不思議なタイミングでした。
もしかしたらこの時既に、次の天下は豊臣ではなく徳川の物だと考え、自分の行く末を見定めていたのかもしれません。
そして起こった関ヶ原の戦いではもちろん東軍に付き、各武将への調略活動や武勲を上げました。
戦後は外様大名として徳川家の重臣に迎えられたそうです。
 
と、ここまで時を追って高虎公の仕官の歴史をご紹介しましたが、皆さまはどう感じたでしょうか。
理由はどうあれ、死別以外で主人をコロコロ変えるなんて信用できない、と思った方も少なくないと思います。
しかし実際には、江戸時代に儒教が広まる以前の日本では、正しく評価してくれる将来性のある主を選ぶことは武士にとっての当たり前の権利でした。
そう考えると高虎公は、他の誰よりも人を見る目に長けていて、それ故に現代にまで名を残すほどに出世が出来たのかもしれません。
これ、現代にも当てはまりますよね。
ブラック企業がよく話題に上がる現代ですが、自分の将来と仰ぐ人は良く見て考えたいですね。
 

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最後に、前回のクイズの答え合わせを。
高虎公の旗印は黒字に白丸が3つ。
この白丸、実は白餅を表していると言われています。
近江を離れ牢人生活を行っていた高虎公が空腹に耐えかね、三河の餅屋にてお金が無いにも関わらず飲食をしてしまいます。
しかしそのことを主人に白状したところ、無銭飲食を許すどころか故郷までの路銀まで戴いたそうです。
それによほど感謝を覚えたのでしょう、高虎公の旗印には丸餅が描かれました。
ちなみに、長い時の後に出世して城持ち大名になった高虎公は、その餅屋にお金を返しに行ったそうですよ。

高虎公は、以前に紹介した武将との因縁のエピソードもあったりするので、また折を見て紹介したいと思います。